大学で落ちこぼれた話

大学生になったばかりの頃の話をしよう。

僕はかつて、とある商業高校*1から某国立大学の工学部に進学した。

種を明かせば、一般入試とは別口で、ごく少数定員ながら専門高校出身者向けの入試枠があり*2、僕はたまたまその門をくぐっただけに過ぎない。

すなわち僕は、普通の受験生が当然備えているであろう基礎学力を十分に身につけないまま大学生になってしまった。

置いてけぼり

入学して思い知ったのが、講義のレベルの高さと自分自身の力不足だった。

シラバスを見たときから厭な予感はしていたが、あんじょう、講義を聴いても内容をろくに理解できない。

特に数学と物理学は致命的で、僕ひとりがスタートラインに立ててすらいないことは明らかだった。

かけがえのない学友は確かにいた。 しかし、進学校出身の彼らと僕とでは素地がまるで違う。 皆、僕の遙か先を走っているような気がしてならなかった。

周りと同じ水準に追いつくことは他ならぬ僕自身の課題であり、強い隔絶感と密かなしゅう心を覚えたものであった。

五里霧

何はともあれ、自分自身の問題は自分自身でなんとかせねばならない。

せいきょうの書籍部で参考書を買い込み、朝な夕な愚直に読み漁った。

しかし無情にも講義の進度は速く、咀嚼している暇すらない。 いわんや予習など手が回るはずもない。 さらに数週間後には中間考査も迫っている。

時間もなく、気持ちに余裕もなく、常に焦りを感じていた憶えがある。

どこまでやれば追いつけるのか、それが見えないことがこれほどまでに苦しいのかと、真夜中にひとり、机の前で「もうダメだ」と破滅的な絶望感に襲われたことも一度や二度ではない。

そして焦る気持ちを上書きするように、がむしゃらに本を読んでは演習問題を解いた。

それから

そんな日々が続き、やがて雨の季節へと差し掛かる頃、あることに気付いた。

実際は、初年級で学ぶべきことは先人によってもはや既に体系化し尽くされており、まだ努力次第でなんとかなるらしいことがおぼろげながら見えてきたのである。

そういえば入学時のオリエンテーションで、工学部の学部長が『大学は、勉強を学ぶところではなく、勉強のやり方を学ぶところだ』みたいな話をしていたっけ。

初めは言葉のあやなのかと思い、さして意にも介さなかったが、あながけむに巻かれた訳でもなかったらしい。

結局、どうなったの?

テストでいい点取れた?

かなり際どかったけど、最終的になんとかなった。

大学では結局1単位も落とさなかったし、在学中に高度情報処理技術者資格 (NW) も取ったよ。

がんばったね。


以来、単に知識が足りないだけの場合は、関連する書籍を何冊か買い込んでそれらを横断するように読み込むパワープレイが定着してしまった。

もっと効率よく、時間と金を掛けずに学ぶ方法は他にいくらでもありそうだが、留年するよりマシだろうと割り切っている。

そして、いま

この春、ふたたび職場環境が変わり、これまで以上に「よく知らない技術」に触れる機会が増えた。

具体的には Docker や Kubernetes、また IoT × マイクロサービス開発など、もう一段、新機軸を目指して飛躍することになるだろう。

実感として、これまでのモノリス型システムの開発ノウハウはこの先通用しなそうだ。

まずは不足している知識のキャッチアップが必要だが、今まさに案件は目前にあり、待った無しの状況である。 なんとスリリングなことか。

学生時代のささやかな挫折経験がなければ、おそらく僕は今頃、旧態依然としたシステムエンジニアとして退屈そうにごはんを食べていたかも知れない。

あの日あのとき、きっと人生の「何か」が少しだけ変わったのだ。


土曜日の昼下がり、Kubernetes 本を読み耽っていたら、ふと若き日の思い出が甦ってきたので、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくった次第である。

あやしうこそものぐるほしけれ。

*1:正確には、総合学科の情報処理課程だが、話を簡単にするため商業高校としている。

*2:試験で問われたのはせいぜい簡単な数学と英語の知識、そして面接くらいであった。

Copyright (c) 2012 @tercel_s, @iTercel, @pi_cro_s.