(c) 松井優征 2013, 2014 『Assassination Classroom, Vol. 11』より
“I only had time to teach you math this time... but let's keep up this hit-and-run tactic... and gradually increase the number of strategies you use at school.”
“Th... that means... you have to drop by to tutor me sometimes...”
“Sure!”
「今回は、算数しか教えられなかったけど、この『ヒット&ラン戦術』を続けていこう。 そして徐々に学校で使える戦略の数を増やすんだ」
「そ、それって、時々、アンタが私に教えるために、ここに来なきゃいけないってことだよね」
「もちろん」
英文法を復習する前は、このレベルの文ですら読解が怪しかった。
「私は / だけだった / 持った」 この辺まで読んで、もうお手上げに近い…… というと大袈裟だが、単語の意味が分かって文が読めないという人は似たような体験をしているのではなかろうか。
今、どう見えているかというと、
“I only had time to teach you math this time... but let's keep up this hit-and-run tactic... and gradually increase the number of strategies you use at school.”
みたいな濃淡が見える。
より厳密に書こうとすると、リー教の構造図になってしまうのだが、そこまで厳密に読んでいるわけではない。
3つの文が等位接続詞で繋がれていて、うしろ2つが命令文。 飾りの要素を薄めると、結局、簡単な構造にバラすことができてしまう。
「私は時間を持っていた」 → 「私は時間だけを持っていた」 → 「私はあなたに算数を教えるための時間だけを持っていた」という感じで、文のコアに修飾要素を逐次添加していくと、迷わず本来の意味に戻る。
形容詞や副詞が、どの語にかかっているかが分かると、「私は、だけだった、持った」みたいなめちゃくちゃな読み方をしにくくなるのだ。
drop by は、「立ち寄る」を意味する群動詞。 「落とす」という意味から、なぜ「立ち寄る」という意味が生まれたのか、日本語話者にとってはなかなか連想しづらいところではあるが、「そばに(by) 自分をぽとりと落とす(drop)」というイメージから、「立ち寄る」という意味が生まれたらしい。
かくして、少女は渚に心を開き、また時々教えに来てほしいと言うまでになった。 めでたし。