100日後に英語ができるようになる僕(53日目)

今朝の続き。

You might be skilled and versatile but once you go out into the real world, there will always be people like him in positions of avobe you.

まず、You might be skilled and versatile までで、1つの文のカタマリになっている。

be skilled が受け身っぽい見た目をしているが、skilled は過去分詞ではなく形容詞。 versatile と同じ働きなので、等位接続詞 and で並べることができる。

be 動詞に助動詞 might をかけることで、直接的・断定的な表現を避けて、「君はスキルがあって多才かも知れない」と、ちょっと控えめなニュアンスを出している。

なぜかというと、直後に「世の中に出たら、もっと上がいくらでもいる」という身も蓋もない発言が続くのである。 先ほどの等位接続詞 and は、形容詞をくっつける働きをしていたが、次に出てくる but は S + V のカタマリ同士をくっつける働きをしている。 英語がダメダメだった頃は(今もダメだけど)、等位接続詞が何と何をくっつけているのかうまく意識できなかったが、今は多少分かるようになってきた気がする。

there will always be people like him in positions of avobe you. は、そこそこ長いが見かけ倒しで、直読しやすい。 人々はいつもいるだろう → (どんな人々かというと) → 彼(浅野君)のような → (どこにいるかというと) → 君より上の地位に。 ── という感じである。

people がなんかへんな位置にあるように見えるが、これは誘導副詞 there のせいで動詞が主語の前に引っ張り出されているせいで、さらにその動詞が助動詞と副詞がべたべた張り付いていて見慣れた there is / there are の形と離れてしまっているので、もしも迂闊に目が滑ってしまうと、 people like him のように、へんなところでくっつけてしまいがちである(が、誤りである)。 僕は TOEIC のリーディングセクションでこういう誤読をよくしていた。

たとえ浅野君という存在がなかったとしても、社会に出れば自分の能力の遥か及ばない存在が、自分より上の地位にいくらでもいる。 常にそんな状況であって、遅かれ早かれぶつかる壁なので、殺せんせーは敢えて気休めを言わず、厳しい現実を教えたのであった。

So what do I do...?

So は副詞なのでとりあえず置いといて、what do I do? という疑問文は、「僕はどうすればいいの?」みたいな意味。 これが what do yo do? になると、「なんの仕事してるの?」になってしまう。

What if everyone gets hurt because of me...?

これは自分のせいで周りに迷惑をかけたらどうしようと懊悩する磯貝君のセリフ。

リーダーシップを発揮し、チームを率いねばならないが、実力不足で失敗すれば周りに迷惑をかけてしまう。

僕も自分の判断の誤りや能力不足でステークホルダー全員に迷惑が及んだらと考えて臆病になることがあるので、このセリフには強く共感する。

ちなみにWhat if 〜 は、「〜だったらどうなるだろう」という構文。 Duo Select にも登場するので、おそらく超重要構文なのだろう。

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